【近江八幡市】総勢200名の武者行列に、今年は「弥助」も参列! 第40回あづち信長まつりが開催されました
2024年11月17日、近江八幡市安土町で「第40回あづち信長まつり」が催されました。
あづち信長まつり協議会会長は出陣式(※開会のセレモニー)にて「正々堂々、行進をお願いします!」と挨拶なされました。
記念すべき第40回目の開催であった、本年のあづち信長まつり。武者行列には地元の方々だけではなく、岐阜県や富山県など遠方からお越しになった方々も多く、参加者の総勢は約200名にのぼりました。
関ケ原戦国甲冑館行軍隊‼️
あづち信長まつり出陣‼️
皆様、よろしくお願い致します🙇#関ケ原戦国甲冑館#お食事処兵糧#甲冑館行軍隊#甲冑館行軍隊奉行衆#甲冑館予備隊#あづち信長まつり#安土 pic.twitter.com/vx7dPjmYaS
— 楓天@甲冑館行軍隊奉行衆 (@Fuuten_general) November 17, 2024
また今回は190センチの長身を誇る、モザンビーク共和国の駐日臨時代理大使ニャルンゴ氏のご子息・ニコラスさんも「弥助」の役で参加しておられました。
織田信長に仕えた黒人「弥助」の出身地は、エチオピアをはじめとする東アフリカの各地が考えられており、そして一説には「現在のモザンビーク共和国出身であったのでは?」と考えられています。
「モザンビーク」の由来は、小島の港名「モサンブコ」です。当初は港のみがそう呼ばれていましたが、いつしか大陸の内陸部までもがモサンブコと呼ばれるようになり、そして現在の「モザンビーク」へと続いています。
その広さは、なんと日本の約2倍となる約79.9万平方キロメートルです。
弥助は400年以上も前の時代に生きた人物であり、かつ織田信長に臣従した期間も1年と少しと短く、史料も多くはありません。ならばこそ空想の羽をはばたかせるだけの余地も広く、弥助は多くの方々に浪漫や魅力を感じさせる存在なのかもしれません。
出陣式では太鼓が打ち鳴らされ、かぶら矢も放たれました。
近江八幡市弓道協会の皆様の命中精度は素晴らしいものでした。
そして「えいえいおー!」との掛け声の後、ほら貝が吹かれる中で武者行列がスタートしました。
鎧兜を身に着け、戦国武将らしさが満点になった方々が歩き進む様は、やはり絵になります。
そしてこの日は安土町文芸の郷でも、様々なイベントが催されていました。
多くの屋台が連なって多彩なグルメを提供したり、野外ステージで個性豊かなパフォーマンスが披露されたり、来場者はそれぞれ楽しいひとときを過ごしていました。
今年は巨大なバルーン城がステージ近くに設置されたことで、より戦国時代らしいムードが深まっていたように感じられました。
残念ながら本年は薄雲が広がり、時には小雨がぱらついたこともありましたので、来年はすっきりとした快晴となることをお祈り申し上げます。
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